第794回 ゴーゴーとのなれそめ
プロンポン駅から歩いて5分ぐらいのところにある「41スイート」というホテルが紹介されています。1泊が1300Bぐらいですからかなり安い。
場所はソイ41と43をつなぐ通り沿いにあるようで、スクンビット通りの騒音も聞こえないみたいです。部屋は23m2と26m2のみですが、日本のビジネスホテルのツイン程度の広さです。
朝食は珈琲とパン程度のようですが、これは無料とのことです。すぐ近くには「tops」というスーパーがあるので、何かと便利だと思います。
宿泊者の感想も出ていますが、立地良しでコストパフォーマンスの高いホテルといえそうです。欠点はバスタブがないことと、小規模ホテルなので、窓からの眺望が望めないこと。しかし駅からの距離といい、4000円前後の宿泊費は利用価値が大きそうです。
Fly Teamより
JALが10月下旬より、成田バンコク便を1日2便に増便するそうです。追加便の時刻表ですが、成田発12時40分でバンコク着が18時ちょうど。帰りはバンコク発23:25で成田着は早朝の7:15。
行きは私好みの時間帯ですが、帰りは機中泊になるので、私は敬遠です。ただ元気のあるサラリーマンの方は、最終日の夜までゆっくり遊んで、機内で寝て成田から出勤なんてことも可能になりそうです。
さて、昨日は午後からあちこちで雨が降ったせいか、埼玉の我が家近辺の気温は夜になって25度ぐらいに急降下。これは夜よく眠れるなと思ったのですが、普段と環境が違ったせいか逆に妙に寝つきが悪く、いろいろな妄想が頭の中を去来。
中でも一番多かったのが、バンコクのゴーゴーに関する妄想。いまから10数年前に初めてバンコクに行きましたが、この時から個人手配の一人旅です。
しかしまあ初めての海外一人旅ということもあり、空港内の動きも空港からバンコク市街までの動き(不安になってリムジンを利用しました)、ホテルでのチェックインの方法とか、まあ部屋に落ち着くまで緊張の連続でした。
それでも事前にネットでいろいろ調べているうちに、観光地以外の夜の遊び場所としてゴーゴーの存在を知り、それこそおっかなびっくりでカウボーイの通りを往復したのは懐かしい思い出です。
通りの両側に若い女の子が立ち並び、「ぜひ入って見ていって」と呼び込む様子は、かなり刺激的。ちらっと顔を見ると、化粧は濃いものの、眼がぱっちりしていて、なんだかみんなタレントのような雰囲気です。
しかしこちらは初心な50代のおじさんで、まともに視線を合わせるのも気恥ずかしい限りでした。それでも折角バンコクまで来たんだからと、何となくネットで調べた記憶があった店を見つけ、勇気を出して入店。
今となっては懐かしい思い出ですが、最初に入った店が、今やソイカウボーイを代表する店となった「バカラ」です。しかし当時は、流行がパッポンからナナのレインボー系に移ったばっかりで、カウボーイは田舎のゴーゴーといった位置づけだったような気がします。
というわけで、勇気を振り絞って入店したのですが、いきなり目の前に多数の美女が並び、体を揺らしている様子に度肝を抜かれ、しばし茫然。ウェイトレスさんがしきりと音楽の合間に何かを叫んでいたのですが、緊張していたのか何を言っているのかさっぱり不明。
しばらくしてようやく、飲み物を注文しろと言っていることが分かりました。これですぐに私がゴーゴー初心者だということが分かってしまい、次から次へと横に座る女の子が紹介されたことが妙に記憶に残っています。
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拝見しまして、
初めて入ったゴーゴバーは、どこだろうと思い返しましたが、明確に思い起こすことができません。
およそ30年前に、タニアと、パタヤのバービアに、行ったことは記憶しています。ナナとソイカにいったかどうか、パッポンには行った気がします。
その後、日本で勤労に励み、タイに再び訪れたのは昨年です。この時は、もちろん個人手配です。
タイに、再びあまり違和感なく馴染みました。
ウオーキングストリートは、昔からあったのでしょうかね。
今回、パタヤを訪れ、さまざまな手がかりから、主にノースパタヤのホテルに滞在していたことを確かめました。
当時、ビーチロードを結構、寂しいところまで南向きにソンテウで行き、
ローカルの人が楽しんでいる音楽の流れるオープンエアの店しかなく、
明らかに外国人向けのエリアではないところまで行った記憶があります。
どこであったのか、見当がつきません。
いい思い出でかもしれません。
再びタイに来るようになったのは、一昨年の勘違いでした。
30年目前とは恐れ入りました。私は国内旅行ばかりで、海外旅行デビューは20数年前のハワイ旅行です。
生まれて初めてパスポートを持ち、英語のヒヤリングも満足にできず、イエスとノーしか言えないような語学力でしたが
行ってみたら見るものも聞くものも面白いことがばかリで、以後ほぼ毎年行くようになりました。
3回目からは個人手配で、チケットはチケット、宿泊先は宿泊先というように、個人手配で予約を行う旅行
スタイルが定借しました。
タイに行き始めたのは10数年前からですから、なまけものさんと大きく違います。30年前といえば
日本のバブル時代。タニヤ全盛期のころではないでしょうか?どんな雰囲気だったのか知りたいものです。
パタヤにも古くから行かれているんですね。私はパタヤの存在は知っていましたが、バンコクから
2時間かかるので、なんだか面倒で行くことをためらっていました。しかしいろいろな方がタクシーを使って
いるという実態を聞いて、もう年齢も年齢だし、そういう方法もあるなと思うようになっています。
私は昨年初めて、パタヤの先、ジョムティエンビーチまで行きましたが、人も少なく、なんか
のんびりした雰囲気で交換が持てました。あんなところでのんびり一か月ぐらい過ごすのもよいなと
思えます。ただし1週間程度で飽きてしまうかもしれませんが。
パタヤにも日本以外のアジア系観光客が押し寄せるようになって、街の雰囲気もずいぶん変わったのかなと
思います。しかし街の情景を思い出すと、すぐにでも行きたくなります。
はじめての海外旅行が、タイのプーケット島でした。帰りに、バンコクに一泊しました。
その後、もちろん、ハワイなどにも何回か行ったものです。
当時は、パック旅行が全盛ではありましたが、それでも、
HISで10日間のブロック航空券などを対面または電話で購入していたりしていました。旅行を自分で組み立てるという面では、いまでは、信じられないほど選択の自由があります。むしろ、当方の気力・体力に問題がでてきています。
当時は、バンコクにBTSやMRTもなく、メーター制もなくいま考えてみると、よくタクシー運転手と話しをつけていたなと思います。今どきのバンコクの運転手は、少しジェントルに感じることもあります。
タニアは、基本システムに変化はないと思いますが、路上に客引きがいたかは記憶にありません。
パッポンは、ナイトバザールのような雰囲気は、まったくなく、ゴーゴバーに向けファランがのし歩いていた気がします。
また、パタヤではバービアで楽しんだ記憶しかありません。(ゴーゴバーはあったのでしょうが)
当時、ナナ、ソイカのことは知っていましたが、たぶん足を伸ばしていないと思います。
バンコクのタクシーの交渉性は、私も何回か経験していますが、面倒に思えるときと便利だなと思えるときが
あります。昔は交渉性だけだったという話を聞きますが、タイ語が分からない状態で、皆さんよく利用していたな
と思います。最近は運転手さんも片言の英語が通じるので、ある意味楽になったと思います。
ただ乗る前によく確かめない後、乗り込んでドアをしめてから200Bとか空港まで500Bといわれると、それだけで
不愉快になりますね。基本的には乗り込んで行き先を告げて、「うん」と運転手さんが頷いたらメーターを使うと
判断しています。
パッポンというか、ゴーゴーはもともとファランが主要なお客だったのだと思います。日本がバブルになって
海外旅行が身近になり、今の中国のように日本から団体客が大量に押し寄せ、タニヤが発展したという認識で
います。
今はパッポンのゴーゴーにもファランや日本人以外の国籍不明の人が大勢出入りしているようですね。
中東系の人は顔つきで分かりますが、中国系の人はさっぱりわかりません。ゴーゴーの子たちも、国を
見分けるのに苦労しているように思えます。
タニアの「発展」は、団体客というよりは、
日本企業の進出に伴うもののように理解しています。
タイやフィリッピンのゴーゴバーは、
米軍兵士の慰安施設として考案されたものと理解していますが、
その後、継続して栄えているのは、
発祥の由来とは、別に、なにか、
そうなる理由があったのではないかと思います。
それぞれに楽しいところかと。
それから、当時から、タクシーに乗る前に、扉を閉める前から、
まず価格交渉していました。
だいたい、目的地を理解してもらうには、
文字を書いて示すとか、絵とかも、必要でした。
不思議と地図は、役に立ちませんでした。
少なくとも、当時のバンコクの運転手は、地図という概念がなく、
運転ルートを、あの店のところを右に曲がり、そのあと、どうのこうのと理解しているように見えました。
自分自身のドライブでも、慣れた道は、そうしているのと同じです。
また、よく考えれば、地図の読み方は、学校で習った記憶があります。
地図を当時のバンコクの運転手が用いていなくて、
お身体にお気をつけください。
水分は十分にお摂りください。
お心に響く点がもしありましたら、ご返信ください。
今は不明ですが、10年20年前のバンコクは教育制度そのものもよく機能していなかったような
気がします。
通いなれたゴーゴーの子たちに名前を聞くこともあるのですが、発音が不明。しょうがないので
「ここに書いて」とメモ帳を差し出すと、タイ語で書く子が多いです。英語では?と聞くと
恥ずかしそうに笑う子を見て、「あ~この子はアルファべベットで書けないんだ」ということが
分かりました。
イサーンの出身だということでしたから、貧しくて基本的な学校にも行けなかったのではと
想像しています。
タクシーやトゥクトゥクの運転手さんにしても大半は似たり寄ったりの学業レベルではないかと
思っているのですが、だとすると地図の見方を知らない人が多いことも頷けます。
その結果、運転手さんに地図を見せて「ここに行ってくれ」という指示が通用しないことも
理解できました。最近は通りの名前や大きな目標物を指定し、あとは近づいたら「あっち」とか
「左へ」というように指示するようになりました。
しかし毎日暑いです。バンコクと変わらないなと思っています。しかしバンコクのような
夕立はほとんどありません。今日もこの後気温は上昇しそう。麦茶やポカリスエットを
がぶがぶ飲んでいます。
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