第1621回 今日は敬老の日
新聞には、65歳以上の高齢者人口がどんどん増えていると書かれています。一方子供の人口はどんどん減っています。私が埼玉のこの地に家を建てて早や25年。
当時は家から50mほど離れた小さな公園に、幼児だった息子を連れて滑り台やジャングルジムで一緒に遊んだ記憶もありますが、その息子も今は社会人。
公園の方は、周囲に家が増えたこともあって、ボール遊び禁止となり、遊具も危険性が指摘されたのか撤去。今は草が伸び放題のただの広場と化しています。
住宅地の一角の些末な出来事ですが、日本全体で同様の事がじわじわ進行しているんだろうなという気もします。私の祖父祖母が住んでいたのは石川県の山の中ですが、50年ぐらい前に墓参りに行くと、それなりに村の人が動き回っていました。
しかし今は立派な美しい家が立ち並んでいますが、日中通りを歩いている人はほぼ皆無。高齢者もいるのだと思いますが、畑仕事もせずに家に引きこもっているように見えます。
そういった視点でタイという国を見ると、若者が多数いて、街は日本の高度成長期を思わせるような活気にあふれているように見えました。
一方で近代的なビルの片隅に、昭和時代の遺物かと思われるような建物が点在し、さらに昔の秋葉原の電気街を思わせるような小さな店が多数軒を並べている。
こんな店がかつて日本にも多数あったなあ、こんな交通渋滞もかつての東京では当たり前だったなあ、なんてことを思いながら街歩きをしている自分を発見。
さらに街角でわずかな会話を交わす人の対応は、かつての日本の田舎で感じた親しみやすさや温かさを思い出させます。そんな経験を求めてタイに行くのかなと思っていますが、今やタイも高齢化社会に突入しているみたい。
とはいえ、アソークの人ごみを形成している年齢層を見ると、日本の池袋や新宿を歩く人達よりも明らかに若さを感じます。その活力を間接的に感じることにより、「よし俺ももう少し人生を楽しもう」という気持ちにもなります。
一方今日の新聞にも出ていましたが、タイで大規模な政治集会が行われたみたいで、今回のコロナ騒ぎで経済的な締め付けが多くなり、政治に不信を覚える人も増えているのかも。
そういった動きも、かつての日本の安保、成田、国鉄の順法闘争と言った問題と私には重ね合っているように見えます。何事につけ、知らず知らずの内にタイと日本を比較してしまう自分がいます。
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hukuさま、ごめんなさい。
タイを不真面目であれ何回か訪れているものとして、
それぞれの国の政治過程・歴史過程・文化開明過程は、違うのですから、おバカな仮説ですが、
タクシン・シナワット元首相と、田中角栄元首相とは、どこか似たような側面があるように思います。
1970年代、オイルショック前後、「昔の日本」のなにかを微妙には変えることを田中角栄派はしたように思います。これにより、少なくとも、経済的格差、地域格差を縮めていく方向に一時には政策は向かったと思います。
国外追放にされているタクシンも、経済格差、地域格差が少なくなるようにしたように見えます。
田中派は、それなりの実権を得て、
新憲法下で権限の弱まった陛下のもと、
いくつかの政案を法として、
それなりにしあわせな日常を過ごす
振り返ってみて、いまとなってみれば
黄金の季節の日本を迎える基盤を作ったと思います。
タイ国におけるタクシンの早めの政治的な死が、
タイの人びととの国の分かれを産んだ面もあったかもと
それぞれの国の
成り行きに茫然としています。
改めてタクシン政権の歴史をちょっと調べてみたら、だいたい2001年から2006年
ぐらいの時期だったみたいですね。
一方私が初めてタイに行ったのが2005年。カルチャーショックとタイの人の
優しさに触れて、あっという間にタイにはまりました。
ただ当時タイという国の政治的な動きには全く関心がなく、ただただ
日本の高度成長期みたいだなという印象を強く感じました。
その意味では田中角栄さんの日本列島改造論と通じるものがあるのかもしれません。
現在のシニア世代は、あの何だかわからないけど日本がどんどん発展している
というイメージが強く存在した時代を経験しているわけですが、現実はその後
日々退潮しているような気もします。
タクシンさんの場合はどうなのか、詳しいことは私にはわかっていませんが
今のタイという国の発展の基礎を作り、その上に軍事政権がのっかっている
というイメージもあります。
その意味では長引く軍事政権に反感を覚える人も増えているのではという気もします。
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