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一人で彷徨うバンコクあれこれ

シニアのおじさんのバンコク放浪記?です

第1150回 入管法の審議を見ながら、将来の介護について考えています

 今日も6時に起床。曇りがちの天気なので外は真っ暗。ちょっと薄ら寒いなと思いましたが、朝食を済ませ、可燃物のごみを出して一段落です。

 朝食はバンコクのホテルでの朝食とは比べ物にならないぐらい簡素なものですが、今日はパンを主食にした洋食です。その際飲んでいたアールグレイの紅茶をマグカップにたっぷり入れ、パソコン部屋に持ち込み午前中はこういったブログの更新作業というのが、日本での生活パターンですね。

 さてちょっと話はずれますが、国会では入管法の採決が今日行われる可能性もあるようで、議論がまだ不足していると私も思いますが、産業界の期待は大きいのかなと思っています。

 バンコクに行く前に私は北陸4泊5日の旅行にも行ってきましたが、その際高速道のサービスエリアのレストランで多数の外国人労働者と思われる人たちが働いているのを目撃しました。

 大多数の方は日本語を流ちょうに操っていましたので慣れているんだなと感じましたが、コンビニでも見かけますので、今や少子高齢化の日本ではこういった外国籍の人たちの労働力をあてにするしかないという状況なのかもしれません。

 さらに私の妹が勤めている会社では、ベトナムからの技能実習生を受け入れているようで、妹の話によれば若くて可愛らしい子たちが10人単位で来て、よく働いてくれていると言うことでした。

 ただその実習生に言葉の問題も含めて仕事内容を教えるのが大変ということでした。ちなみにこういった実習生の国籍はやはりベトナムが圧倒的に多いようです。

 入管法に関する新聞紙上の記事を見ても、就労に熱心なのはベトナム国籍の人たちと書かれていることが多く、だとすれば一度はベトナム旅行に行って、実際にその国の雰囲気を確かめてみたいなという気もしてます。

 一方、タイの人が日本に来て働いているという話はあまり聞きません。時々耳にするのは、風俗関係で違法労働として働き摘発というようなニュースが多いです。

 ただ現地に行ってみると、タイの女性は逞しく、よく働くなという印象も強いです。ただもしかすると、タイ語と日本語の格差というか違いが大きいので、語学の部分で日本に来にくいのかなという気もします。

 逆に私がタイに行って、タイ語を使おうと思ってもその発音やイントネーションの複雑怪奇さで、すぐに「こりゃだめだ」と諦めてしまいます。

 しかし、あと10年、20年たつと、こういった国からの労働者が増え、もしかしたら介護の現場でも当たり前のように働く時代が来るのではと思っています。

 そんな時、タイに行き慣れている人がこういった人から介護を受ける(実は自分のことを想定しています)ということもありそうで、その意味ではこういった国々の人に日頃から親しんでいれば、安心して身を任せることも出来そうだなと思っています。

 ある意味私がゴーゴーに行って会話を楽しんでいるという状況は、コミュニケーションという介護の範疇に入りつつあるのではという気もしています。 


 

第817回 今日はクモ膜下発症1年後のMRI検査です

 今日はこの後病院に行きます。思い起こせばちょうど1年前の昨日。夕食を食べて「はあ~今日も無事終わった~」と思ってベッドに入って就寝。

 ところが12時前後だったと思いますが、突然の頭痛。それも半端じゃない。全身に悪寒が走るような頭痛で、これはとんでもない事態だと、ともかく這うようにして息子の部屋の前まで行き、息子を起こし「救急車を呼んでくれ」というのが精いっぱい。

 そのまま軽く着替えて何とかリビングに移動し、テーブルに突っ伏して救急車を待ちます。その間にも頭痛はどんどん激しくなり、「これはもしかするともうダメかも」という不安が胸中をよぎりました。

 やがてサイレンが聞こえ救急隊員との短いやり取りを経て、何とか自力で救急車に乗車。しかしそこからの記憶がほとんどない。途中で病院に到着し、ベッドに移し変えられたことは覚えていますが、それで安心したのか激痛に耐えかねたのかそこから記憶が途切れています。

 従って手術室に運ばれて何らかの処置をされたという記憶は全くなく、手当てが遅くなってそのままこの世を去っていれば、まあある意味苦しまずに自然に逝けてしまうんだなと、あとになって認識しました。

 ただよく言われるように、向こう側に光が見えるとか、自分の一生が走馬灯のように流れるといった、いわゆる臨死体験はしていませんので、実際にそのかなり手前で踏みとどまったと言えそうです。

 というわけで、覚醒するという意識はなかったものの、なんか声が聞こえたなと思ったころ自然に目が覚め、そこでようやく私をのぞき込んでいる医師の顔が見えたということです。

 しかしその後1週間ぐらいは、なんだか意識も朦朧としていました。当然ながらほぼベッドに寝た切りの状態で、この間に筋肉量が激減。1週間ぐらいして、ベッドから起き上がろうとしたとき、ものすごい努力が必要でした。

 そこからは椅子に座るとか、立ち上がるという簡単な動作のリハビリが始まり、それとともに雲がかかっていたような意識がすこしずつはっきりしていきました。

 その後は車いすで、いわゆるリハビリ室に移動し、立ったり座ったり、物を持ち上げたり数を数えたりというリハビリを行いましたが、そのころからふらつき、味覚障害、ろれつの回りにくさを感じ、程度は軽くなったもののそれが1年後の今日まで続いています。

 大学病院では一か月ほどの治療しか認められていないようで、その後一か月半は地元のリハビリ病院に転院。ここで上記のいわゆる高次脳機能障害と呼ばれている症状の軽減と、入院中に失った筋肉の回復に勤めました。

 というわけで昨年11月中旬にリハビリ病院を退院。そこからは自宅療養となりましたが、今もお世話になったリハビリ病院に併設されたトレーニング施設に週2回通って、ストレッチや筋トレを行っています。

 そんな中、手術後今日がちょうど1年目の記念日となり、MRIでの検査が大学病院で予定されています。この検査で、予後が良いと判断されれば、また1歩海外旅行に行ける可能性が大きくなります。

 というわけで、もし行けるならと思い、つい先日は北陸3泊4日旅行を行い、まあ国内旅行なら体力的には何とかなりそうだという感触を得ています。しかし脳内の血管がどんなことになっているのか、こればっかりは直接目で見るわけにもいきません。

 実際にはいくら検査でOKとなっても、旅行では不測の事態が起きる可能性もあり、私が今一番心配しているのは飛行機内の減圧の影響がどのくらいあるのかということです。

 その辺の話も今日も再度してこようと思っています。以前は仕事をしていましたので、旅行日程や旅行資金が最大の関心事でしたが、今は旅行に行ける体力があるかどうかが最大の関心事です。